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介護士コラム~体験談~

100才30日の旅立ち2。ご本人の夢を叶えた介護職チーム。

今回のお話は、記事「100才30日の旅立ち。ご本人の夢を叶えた介護職チーム1。」の続きです。

Aさんの夢は「100才まで生きること」、その夢はいつしか介護職チームの夢となり、介護職チームの熱い思いで100才の誕生日を迎え、その後Aさんは100才30日でホームで初めての看取り介護としてのご逝去となりました。

悲しい、でも達成感を得た気持ち。

Aさんがご逝去され、頭の中では天寿全う大往生の生涯だとは解っていても、悲しくて涙する介護職。涙よりは妙にすがすがしい気分になっている介護職。チーム複数人いれば思いも人それぞれ。

でもチーム皆に共通していた気持ちは、達成感だったと思います。

食べれなくなった99才11か月で自然にお看取りした方が良かったのか、お医者さんに点滴をお願いしてまでもAさんの夢であった100才まで生きることを達成したことが良かったのか、今でも正解はどちらだったのかわかりません。
でも介護職チームの皆が熱い思いでAさんの人生を支えたのでした。

通夜の前にAさんに最後のお別れの挨拶にいきました。

看取り看護
ご家族様のご配慮をいただき、介護職チームはお通夜が始まる前の時間、服装はあえて仕事服のままで(かしこまらず気持ちが大切という先輩介護福祉士の教えがありました)、Aさんのホームに入られる前のご自宅に最後のご挨拶にうかがいました。

・・・「Aさん、生きているのかな?」って純粋にそう思ったほど、目は閉じているもののAさんは今にも起きてきて「アタシの夢、100才を叶えたよ」と言葉を発してきそうな様子に見えてしまう程、ご遺体とは思えない程お顔にツヤがあるのです。

本当にツヤがあったのか、それとも私たち介護職チームのAさんに対する思い入れが強すぎて、その思いがAさんをそう見させたのか、今となっては分かりませんが・・・

ご家族様は誰1人として泣いていらっしゃらず、Aさんのご遺体とご家族様に最後のご挨拶をさせていただくときの私たちの心境は「とにかくAさんを最期までホームで介護して良かった」という思いでした。

ホームでの過ごした写真と一緒に。

Aさんのご遺体のまわりには、ホームでお過ごしになられた3年ほどの間の写真がたくさん飾られていました。

ご家族様が「ホームに入れるときは、家族としては母を捨てるような気持ちもあってずいぶん迷ったんです」「でも認知症がひどく、家族にはとても手に負えずキレイごとも言ってられずホームに入れることを決断したんですよ」とおっしゃった後、「でもホームに入れて良かった。母の数々の笑顔の思い出がこんなにたくさんあるんですもの」「まわりで認知症介護で悩んでいる人にホームの良さを進めたい」とご家族様は言ってくださいました。

ご利用者と家族の良いカタチを作る介護福祉士の仕事。

今でもあのときの100才30日を支えてきた介護は正しかったのか、間違いだったのかわかりません。

でも100才を迎えたときの純粋な喜び、ホームで看取りきった介護、お別れのときのご家族様からいただいた貴重なお言葉。どれも皆、今、介護福祉士として仕事を続けることができている私を支えている場面、思いばかりです。

介護福祉士って誇らしい国家資格だと思いませんか?

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